私は、公立中学校の教員になって働いてから数年後、業務の責任と量が増えて体調が芳しくなくなり、2023年2月のある日に仕事に向かえなくなりました。体が言うことを聞かず、何が何だか分からないが辛いという状態でした。
それから、しばらくは夫と2人暮らしの自宅で療養していました。休職したての時期は何もできずに、テレビを観ることさえままなりませんでした。そのうちに、できる範囲で家事や料理をしました。更に、運動のためにテニス教室に通ってみたりなど、今思えば少しでも良く人間らしい生活をしようともがいていたのだと思います。
しかし、夫との間に徐々に重い空気が漂い始めました。夫は私の体調不良の状態を受け入れられなかったようです。動いた後に起き上がれなくなることが多かった私に、疑問の声を上げました。厳しい言葉も言われてしまいました。結果的に私は耐えられなくなり、一時的に夫と離れることにしました。
自分の実家で療養生活をさせてもらうことにした私は、心身の休養を一番に生活することにしました。そのうち年末頃には「そろそろリワークに通いたい。」と自然に考えるようになりました。そうして自分で探して出会ったのが、リワークRAKUです。
RAKUでは、辛さを抱えた状況にありながらも、前向きに自分の健康と課題に向き合うメンバーさんたちと毎日を過ごしました。始めこそ慣れない環境で疲れたり、一人でいることが多かったのですが、1、2か月もするとプログラムを通じて、他の方とお話をする機会が増えていきました。誠実な気持ちでやり取りをして下さる方ばかりで、趣味の会話から生活改善のアドバイスなど日々のやり取りにずっと救われてきたと思っています。
スタッフさんが用意しているプログラムは、私の心身の回復に非常に有効でした。講義形式で知識的な学びを得ながら自己理解を進めます。他にはグループで取り組む課題を通した実務的な訓練の中で、集団の中の自分を見つめる時間も多くあります。多角的なアプローチにより、自己理解を深められる毎日でした。
もう一つ私にとっては見過ごせない課題があります。それはいわゆる『大人の発達障害』という特徴があることです。近頃は非定型発達とも言います。私は能力的な得意・不得意の差が激しい方で、特性により周囲の刺激に過敏に反応してしまいます。そうした性質のために仕事生活上に困難を感じることが多々あります。休職になった要因の一つにも、これが含まれていると考えられるのです。
スタッフさんは発達障害に理解があり、私と非定型発達当事者のメンバーさんとで、専門的な視点を交えた特別プログラムに取り組むこともできました。近年、リワーク業界でもそこでつまずく人に対する支援的プログラムも、活性化がみられているそうです。
リワークに通える日数が増えるに従い、生活のリズムが整いましたし、自分の疲れ具合をモニタリングして、活動量の調整も学んでいきました。プライベートになりますが、リワークにすっかり慣れた夏には、なんと夫が急病で倒れてしまうという『あらがえない運命の波』もやってきました。心理的にかなり揺さぶられましたが、リワークという場・人とのつながりの助けもあって、なんとか落ち着きを取り戻せました。
今は、夫の健康も回復し、会社に元気に通っています。奇しくも2人同時期に、病気と向き合う中で、お互いがお互いを認め合うことができるようになったと思います。私はリワークでの学びによって、復職に向けた要素と共に、自分の思考や他者理解に変化が生まれ、夫を含めた他者との適切なかかわり方を知ることもできました。
結果的に長期に渡りRAKUに通うことになりました。人それぞれ在籍の期間はバラバラですが、自分にとっては「ここまでかけて良かった。」という感想しかありません。これからの人生に活かせる大切な経験を積めました。休職期間はタイムロスではなく、「自分を立て直す機会」と捉えると、生きた時間にできるのだと実感しています。
掲載日:2025年05月23日