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「 ご利用者様の声 」

卒業生の声

卒業生の声困っていた自分を助けてもらった

病名:適応障害
 私は、今回で3回目の休職でした。
 過去2回の休職では、リワークではなく自分で勉強して、自己の問題点を分析し、対処法を考え、これでいけるだろうと思い復職しました。しかも2回目の休職では、会社から強くリワーク利用を推奨されていたにもかかわらず、です。
 しかし、結局は実践できず、また症状が出てしまいました。
 そこで私は、自分で勉強するだけでは自分を修正できない、どうしよう、この困ったことを解決してくれるリワークに行こう、と決心しました。

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卒業生の声仲間に支えられ、安心して復職へ

症状:適応障害
休職期間:2023年6月~2023年12月
リワ-ク通所期間:2023年8月~2023年12月

リワ-ク通所のきっかけ
 以前所属したことがある部署に昇進して異動することになり、「昇進したのだから以前よりもうまく仕事ができなければいけない」「以前所属していた部署での仕事なのだから、着任時から即戦力にならなければいけない」と自分で自分のハードルを上げ仕事に取り組みました。

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卒業生の声双極の波との付き合い方を見つけられた

●病名~双極性障害Ⅱ型
双極性障害Ⅱ型は、気分が高揚して意欲が高まったり、思考が速くなって対人刺激を求めたりする「軽躁状態」と、抑うつ気分になって意欲が低下し何事にも億劫になる「うつ状態」を繰り返す病気です。私は、うつ病の診断を受けた4年後に双極性障害に診断変更となり、リワークへ通う1年前から双極性障害の治療を開始しました。

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卒業生の声今、この瞬間を生きること

はじめに
私は過去に兄弟を亡くしていることを含め、若くして人より悲しく辛い経験を多くしてきました。また、私にはうつ病の他に、強迫性障害という病気があります。これは、強い不安や恐怖、こだわりがあることで「やりすぎ」ともいえる考えや行動を止めることができず、日常生活に支障をきたす病気です。私が休職する前からずっと関わってきた病気でした。過去の辛いトラウマと二つの病気が原因で休職し、職場のすすめでリワークRAKUに通うことになりました。

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卒業生の声温かい手はすぐそばに

病名などについて
病名:うつ状態
職種:事務系
発病に至った環境要因:新しい環境での業務負担と時間外勤務

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卒業生の声HSPの私がうつ病になったら

はじめに
私はHSPという気質を持っています。HSPとは「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」のことで、生まれつき「非常に繊細な人」「非常に感受性が強く、敏感な気質をもった人」という意味です。病気ではなく、生まれ持った気質なので治すことができません。
この気質を持っていた為に、うつ病になってしまったのも否定できません。
人と違う感覚を持っているが故に否定されることが多く、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまった私は、自分の事を知ることから始まりました。

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卒業生の声本当の自分に失望した ―そして、理解し認めてあげた―

病名ほか
病名:適応障害
発症に至った環境要因:人事異動による環境・業務内容・役割の変化
勤続年数ほか:9年(転職) ※休職回数:1回/休職期間:9ヶ月

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卒業生の声仕事第一人間から自分の生きる道へ

    1. 仕事第一人間が休職するまで
     私はもともとワーカホリック的な面があり、仕事をすることに生きがいを感じていました。また、今まで健康だけが取り柄で病気をしたことがなく、自分の心身に無頓着なところがありました。
     今までアクセル全開で仕事に打ち込んできたのだと思います。自分では辛いと思っていませんでしたが、徐々に長時間労働による疲労が蓄積していたのでしょう、ある日突然、朝起きられなくなってしまいました。
    その後は、坂道を転げ落ちるようにどんどん体調を崩し、まともに仕事が出来ない状態となり、休職することになりました。

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    卒業生の声私はコロナで……RAKUに来ました

    私の病名などについて
    病名:うつ状態
    職種:営業(マーケティング/プロモーション)
    勤続年数:26年(休職期間 1年、倦怠感4か月)
    発症に至った環境要因:コロナ罹患の後遺症による倦怠感等

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    卒業生の声素の自身に覚醒し、知恵と勇気を授かる

    1. 幼少期から振り返る
    幼少期はいわゆる「おとなしく手のかからない子」「のんびり屋さん」「ドジっ子」でした。
    学生時代は楽しく不自由なく過ごす半面、交友が極端だったり自己評価と他者評価との差に気付いたりすることはありました。また、周囲の話が聞こえ難かったり流れについていけなかったりすることもあり、適当に相槌をうったり空返事をしたりしていました。その頃は周囲から少し浮いていても「個性」とみられていたと思います。
    社会人になりIT技術職に就き、顧客先で個人や少人数で社内システムアプリケーションの開発や管理を長年行っていたので、考え方やコミュニケーションの癖や苦手さ、偏りに気付きにくかったです。不注意によるミスも度々起こしましたが、大きなトラブルにならなかったことも気づきにくさに繋がったと思います。忘れ物や失くし物もありましたが、顧客貸与物の紛失はありませんでした。システムアプリケーション管理は顧客先にいることが大事といわれるので、体調不良でも出勤し、休むことはほとんどありませんでした。

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